ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

Perfumeとセカイ(上)

1.Perfumeエヴァンゲリオン

ここ一年、andorei氏と"Perfume=パラレルワールド説"について議論してきました。
Perfumeの歌詞に出てくる「僕とキミ」は平行世界の住人で、どうにもならない距離感とコミュニケーションの不可能性の中で、それでも赤い糸を信じ合う関係というのがPerfumeの表現の本質ではなかろうか、という結論まで何とか持っていきました。

問題は、「じゃあ、その平行世界とやらを作っている『セカイ』とは何なのよ?」と。「僕とキミ」は、どうして、そんなまどろっこしいところから出てこれないのと。
そこは、「Perfumeは無理にSF的な世界観を作り込んでいて、おかしいんじゃないの?」という疑問が出てくる場所でもあるんですね。

一つの回答としては、自己の内面を「世界」ととらえて、それ故に人の数だけ世界があるのだという説明は出来ると思います。andorei氏も新世紀エヴァンゲリオンを引き合いに説明されていて、50回繰り返し視聴した元エヴァオタクとしては、それなりに同意できるところではあります。

ですが、この説明が素直に理解に結びつくかというと難しい。なぜ平行世界は重なり合うのかということに、Perfumeの歌詞からは説明がなかなかつかないんですよ。もちろん、振り付けを見ても分からないだろうと思います。
だから、そこは世界観が共通してると思われる他の作品から補完していく必要があります。

例えば、テレビ版エヴァ前半の山場で「決戦 第三新東京市」という回があります。
エヴァンゲリオンというのは、トラウマをもった人間の、世界への向き合い方の物語ですが、結局最後は「世界の運命なんぞ知ったことではございません」になって、自己の内面の救済という殻のなかのモノローグになっていくというお話です。
他者が舞台から完全に消え去るのですから、物語でさえなく、独白劇としか言いようがないのですが、この回は、碇シンジ=綾波レイという二人の少年少女の心情を軸に物語が進む。
綾波はどうしてこれ(エヴァ)に乗るの?」
「絆だから。」
「父さんとの?」
「みんなとの。」
「強いんだな、綾波は。」
「私には他に何もないもの。時間よ、行きましょう。それじゃ、さよなら。」

「自分に価値がない」という二人は、内面の殻の中から出てこない平行世界の住人なのですが、それでも何かを相手に伝えようとする。
その伝えようとする「何か」が、碇シンジ綾波レイも何なのかは自覚出来ていないし、おそらく言語化できない感情としか言いようがない。
例えば、孤独だとか、恐怖だとか、理不尽だとか、嫉妬だとか、そういう言葉で表現することは一応は可能です。
しかし、なぜ殻から出てこようとしない人間が他人に何かを伝えたがるのか、その原動力についての説明が、言葉ではつかないのです。

しかし、それ故にエヴァは唯一無二の作品なのだろうと思います。
何かに突き動かされるように、内面が突然変異のように爆発して変容していく。これが受け入れられる人はファンになるし、心が爆発するなんて現象を信じようとしない人はこのアニメを見続けようとはしない。
その意味でも、平行世界の作品です。

そして、個人の内面が如何にして作られ、「重なり合う/重なり合わない」のは何故なのかという過剰なまでの問い掛けは、「エヴァの呪い=セカイ系の始まり」としてそれから十数年間にわたり日本のアニメ表現を縛り続けたといわれています。


2.エレクトロワールドから透明人間へ

話をPerfumeに戻すと、以前「透明人間」の歌詞について批評をしたことがあります。
これは完全な一人称の歌であって、自己の存在すら消失していく「僕」が、「透明な世界」に「自由のせい」と叫ぶ。
そこでは「僕」はなぜ叫ぶのかさえわからないのでしょう。舞台設定があって、登場人物がいて、どういう事件が起きてといった物語構造が全く成り立たないのです。
一呼吸をして
ゆっくりと立ち上がるたびに
存在を確かめる
きっと僕はここにいるから

これは、ちょうど赤子が言語を持たないことと同じです。ただ「存在を確かめる」ために叫ぶのです。
それは、コミュニケーションよりも優先することで、ついさっきまで、自己と母胎との境もなく、外界すら観念できなかった人間が発する本能的な表現なのでしょう。

エヴァでいえば、碇シンジ綾波レイも、やっていることはそれです。
一見すると、彼らは少年少女にありがちな自分探し=「世界の中での位置づけ探し」をしているかのように思うのですが、実はそういうお話ではないんですね。

世界が虚偽であり、それを認識する自分も虚偽であり、そのように考える意識も虚偽である。虚偽という言葉がピンと来なければ、「他人事」と言い換えても良いでしょう。
世界とは「自分の世界」であり、「自分の心を形作るもの」でなければ何の意味もないのですが、自己を虚偽の存在と位置づけたことで、自分の生死すら他人事としか思えなくなってしまっている。
「これで死ぬかもしれないね。」
「どうしてそんなこというの?あなたは死なないわ。私が守るもの。」

碇シンジが出撃の前につぶやく言葉ですが、彼が本当に気にしているのは、自分の生死ではないのです。
なぜ綾波レイだけが自分の父に愛されるのか。この世界の理がまるで不条理で、死を目の前にしていたとしても、なぜ彼女は常に毅然とした態度でいられるのか。
綾波レイ碇シンジにとって、世界との断絶と接点の象徴です。

だから、これがわからなければ彼は死ぬに死ねないのです。たとえ生物的な死があったとしても、それは世界にとって何の影響もなく、永久に人としての死を迎えられないのです。
つまり客観的な事実や評価はどうでも良くなっているのです。本当に知りたいのは、自分が世界に存在する理由なのです。たとえそれが架空の物語に過ぎなくてもです。
この道を走り進み進み進み続けた
地図に書いてあるはずの街が見当たらない
振り返るとそこに見えていた景色が消えた
この世界 僕が最後で最後 最後だ
本当のことに気付いてしまったの
この世界のしくみ キミに手紙残すよ

たとえ、この世界が偽りだとしても、キミはもういないとわかっていても、それでも僕は手紙を書かねばならない。
何もかもが自分との関わりがつかめない。自分を自分自身と思えない。コミュニケーションが意味を持つ前提が何もかも崩れているのです。
だから、発する言葉は叫びとなる。意味や伝達などを求めてはいないのです。

エヴァでは、碇シンジ綾波レイも非常に透明感のあるキャラクターとして描かれていますが、それは子供が「言語=システムとしての世界」の外側の人間であることの隠喩でもあります。

Perfumeとセカイ(中)に続きます。

Perfumeとセカイ(中)

Perfumeとセカイ(上) - ohi-sama’s blog

3.GAME〜Perfumeの少年少女世界

andorei氏が以前から論じられていたことに、「Perfumeの必殺技は歌詞と振り付けのズレにある」というものがあります。
詳しくはandorei氏の過去記事を参照していただくとして、要約すればPerfumeには歌詞世界と平行した振り付けや映像の世界があるということであって、その二つの世界の繋がりが表現の本質としてあったわけです。
その意味で、Perfumeも言語システムの外側にいます。しかし、歌詞から全く干渉を受けずに振り付けが成立するわけもなく、自由な解釈を許す歌詞があってはじめてそれも可能となります。

コンピューターシティ、エレクトロワールド、Twincle Snow Powdery Snow 、ポリリズムDream Fighter、Voice、未来のミュージアム、DreamLand…
以前論じた「僕とキミ」が登場人物となる「僕キミ作品群」ですが、特にポリリズムまでの初期の作品は、近未来テクノポップユニットとしての中核となる楽曲です。

そして、ここでは登場人物の「キミ」に具体的な実体がありません。
キミは「僕の心の中のキミ」であって、ちょうど子供が「ごっこ遊び」をする際の架空のキャラクターのような存在です。キミがいることで子供には内面の世界が生まれます。

僕はきっとキミとどこかで繋がっていて、いつか一緒になる時が来る。もちろん現実にはそんなことは希有なのですが、それを信じ続けることで永遠に自分の内面の少年少女が生き続ける。
Perfumeのファンは自分も含めて、どこかそのような感情を持ち続けているのではないかと思います。

このような世界観はアルバム「GAME」に結実します。ここでは徹底して少年少女の視点で「重なり合う/重なり合わない」内面が語られます。
しかし、これが全く悲劇的ではない。そこにはコミュニケーションの誤謬さえ喜びとして捉える子供の視点があります。

とても大事なキミの想いは 無駄にならない 世界は廻る
絶対的な信頼と 対照的な行動 絶望的な運命が やがて恋に変わる

伝わらないことは世界の断絶ではないのです。
ポリリズムに込められた「世界は廻る」という一言が内面の殻を打ち破り、失敗とぬか喜びを繰り返しながらも、決して諦めることなく子供が戯れるように平行世界を繋いでいきます。
これこそが「GAME」というタイトルの想いであり、Perfumeが何かを救ったとすれば、自分はまずこの一点を挙げます。

4.edge 〜断絶するPerfume

しかし、この少年少女の視点は長くは続きませんでした。
誰だっていつかは死んでしまうでしょう
だったらその前に私の
一番硬くて尖った部分を
ぶつけて see new world 

ポリリズム的価値観を完全否定してみせたのがedgeでした。
ここで注目しなければいけないのは、Perfumeの展開するパラレルワールドには、二つの方向性があるということです。
一つはGAME収録曲に代表されるような、個人の内面の「重なり合う/重なり合わない」という意味でのパラレルワールド
もう一つは、edge に代表される「彼岸の世界」としてのパラレルワールド。ここではない世界にきっと自分の望む何かがある。それには命を懸ける価値があるという発想です。

例えば Spending all my time はこうでした。
Spending all, Spending, Spending all my time. Loving you,Loving, Loving you forever. 

有限である命と時間を使い、永遠の愛を手に入れたい。そんなこと、初めから無理な願いなのです。
叶わぬ想いの表現ですから、Perfumeは呪詛のように"Spending all my time. Loving you forever. "と繰り返します。

アルバム「Level 3」ではこのような曲もありました。
ぜんまい仕掛けの微笑みは ずっと変わらない
いつでもキミのボタンで 世界変えるわ

仮に、「キミのボタンで世界を変える」と彼女に言われて、そういう恋愛が長続きするかといえば、うーんという感じがします。自分の価値も主体性も放棄して、永遠に変わらない何かを手に入れたい。
そんな願いが強ければ強いほど、人間関係的には失敗していくんでしょう。
clockwork の行く先には既に終わりが見えているのです。    

このアルバムの最後はこのように締めくくられます。
夢の中に住みたくて 光が包む痛みのない国
花の香りが引き寄せる 帰りたくないから
Come Again. Come Again. まだ戻れるよ
キミの腕をボクが引くから

先に、Perfumeの歌詞のキミとは「僕の心の中のキミ」であって、それがあるから内面の世界が生まれるのだと書きました。
それが少年少女の内面であれば、赤い糸を信じることで満足していられるでしょう。しかし、現実世界のキミは厳然たる他者であって、そこで誰しもがどうにもならない距離感とコミュニケーションの不可能性という絶望の壁にぶつかるのです。

結局、現世で報われない内面の世界をどこかで救済しようとすれば、それは何らかの形で宗教観に頼ることになります。DreamLandで歌われたように現実ではない「彼岸の世界」を設定せざるを得なくなるということです。

東日本大震災の後に発表されたGLITTERでは、Perfumeを「現世に現れた釈迦三尊像」と評された方がいました。歌詞の内容を、福島第一原発の事故の暗喩と捉えた方もいました。andorei氏からもPerfumeは現代の巫女であるという意見があったように思います。

しかし、それ以前に、Perfumeの立ち位置が、少年少女のそれからは大きく変わっていたことも注目されて良いと思います。。
また、「はじけて 消えてもいいよ」と歌う"SEVENTH HEAVEN"が、「世界は廻る」ことを信じるポリリズムとは正反対の方向を示しており、それゆえGAMEには収録されなかったと見ることも出来るでしょう。

Perfumeには「少年少女の世界」と「彼岸の世界」という、相反するかのような二つの世界観が絡まり合いながら並存しているのです。


Perfumeとセカイ(下)

Perfumeとセカイ(中) - ohi-sama’s blog

5.Perfume=まどか☆マギカ

「彼女たちを裏切ったのは僕たちではなく、寧ろ自分自身の祈りだよ。どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理だ。」
「そんな当たり前の結末を裏切りだと言うなら、そもそも、願い事なんてすること自体が間違いなのさ。」(魔法少女まどか☆マギカ 第11話より)
LEVEL 3 以降、現在まで2年間のあいだにPerfumeのフルアルバムは出ていないのですが、やはり世界観の舵取りが非常に難しかったのだと思います。
内面性の始まりとして「僕キミ作品群」のような少年少女の世界をはじめに展開し、それが成功したと見るや、edgeのような彼岸の世界に軸足を移して、現実世界との壁を表現する。 これがPerfumeの辿った道のりであって、その二つの方向性の集大成がDreamLandだったのではないかと思います。
ところが、このまま延々と内面の問いかけで進むのかと言われると、表現の幅を作らないと年齢的な齟齬が生じてマズいわけです。

例えば、LEVEL 3 のあとのシングル Sweet Refrain はこんな感じでした。
何年も忘れてたことが 何かの拍子に 急に思い出す
あの日見た夢が今でも 燻っているのかしら
間違いじゃないよ 同じことを
結局はしてる 形変えて
一見してわかるのは、作詞に非常に苦労しているということです。どうにかしてPerfumeを現実世界に戻して普通の女性としての表現をさせたい。中田ヤスタカの想いはわかるのですが、以前のような切れを生み出すには残念ながら至っていません。

このあとは賛否両論のClingClingが続きます。
おっきいハコのなか 背の高い生物がたくさん
かきわける 全身を使って キミをつかむ
見上げて何かを言う いつかは横に並ぶでしょ
生意気なハーモニーまでもうすぐ
これは先に論じたエヴァンゲリオンと一緒で、内面が出来る以前の精神世界を表現したかったことはわかると思います。「背の高い生物」は、エヴァでいえば「使徒」にあたり、他者の寓話的な表現です。「見上げて何かを言う」のも、子供が「言語=システムとしての世界」の外側の人間だという説明を思い出していただければ理解できるかと思います。
ところが、その意図がちゃんと伝わるかというと、伝わらないんですよ。どうして、いまここで童謡なのかと。というか、いくら何でも難しすぎですよねぇ。歌にそこまでのことを求めるのは。

このあとは先に挙げた透明人間が収録されたRelax in the City が発売されるのですが、場合によっては、ここで活動停止もありえたのではないかと思います。
というのは、「3・5・6・9」ツアーではあーちゃんから「Perfumeを続けることにしました」という発表があったらしいんですね。それだけ追いつめられていたということなんですよ。
透明人間 透明人間 誰も気付いてくれなくて
自由のせい 自由のせい 同じ照明を浴びたいのに
too many gain too many gain 
走り抜ける 風だけを
残してく 残してく 透明な世界に
too many pains  
Perfumeを追いつめたものが何かと言えば、原因はいろいろあるでしょうが、自らの造り上げた世界観も一つではないかと思います。
「少年少女の世界」と「彼岸の世界」を徹底的に純化させ、さらに振付と映像と特殊効果を使い、言語と平行した表現を加えて作品にする。
これがPerfumeなのですが、副作用も当然あります。彼岸の世界は一種の宗教表現ですから、神懸かり的にならざるを得ない。少年少女の世界も同世代の共感があって成り立つのでしょうから、それを30前の女性がやり続けるには無理があるのです。
また、世界観というのはドグマやイデオロギーと同じで、一種の思考パターンでしかありません。はじめは新鮮でも、いずれ陳腐化していくのです。

冒頭に「魔法少女まどか☆マギカ」のセリフを挙げました。
見ていない方に粗筋を説明すると、世界には人間の内面を蝕む「魔女」がいて、それを倒すには少女がキュウベエというマスコットと契約をして「魔法少女」にならねばならない。
魔女と戦うかわりに、キュウベエは少女の願い事を、どんなに条理に反するものであっても、何でも一つ叶えるという条件で契約がなされるというお話です。

ところが、魔女がなぜ生まれるのか、その秘密は契約では明らかにされません。
物語が進むにつれ、実は自己の願い事の叶わぬ結末に裏切られ、呪いを溜め込んだ魔法少女の成れの果てであることが明らかになります。
しかし、一度魔法少女になってしまえば普通の女性に戻ることは出来ません。魔女になるか戦死するかどちらかしかないのです。

条理に反する願い事というのであれば、アイドルになって成功するなんていうのは一般常識から言えばその範疇の事柄です。大げさに言えば、それ自体が彼岸の世界のようなものです。
Perfumeにそれが叶えられたのは、何度も言うように世界観によるところが大きいのですが、いつまでもそんな魔法が使えないとなれば、腹を括る時が必ず来ます。


6.STARTRAIN = 世界の歯車になるためには

まどか「どうしてそうまでして戦うの?」 
キュゥべえ「彼女がまだ、希望を求めているからさ。いざとなれば、この時間軸もまた無為にして、ほむらは戦い続けるだろう。何度でも性懲りもなく、この無意味な連鎖を繰り返すんだろうね」 
「最早今の彼女にとって、立ち止まることと、諦めることは同義だ。何もかもが無駄だった、と――決してまどかの運命を変えられないと確信したその瞬間に、暁美ほむらは絶望に負けて、グリーフシードへと変わるだろう」 
「彼女自身も分かってるんだ。だから選択肢なんてない。勝ち目のあるなしにかかわらず、ほむらは戦うしかないんだよ」 
まどか「希望を持つ限り、救われないって言うの?」 
キュゥべえ「そうさ」 

少々Perfumeから離れて、エヴァまどか☆マギカ(通称まどマギ)の話をさせていただくと、このアニメは非常に共通点が多いです。
主人公の碇シンジ鹿目まどかはどちらも自分に自信がなく、他人と目をそらしながら生きています。これと一見正反対のような性格の、綾波レイ暁美ほむらが登場することで物語が動くのも似ています。

敵である使徒も魔女も人間の内面を攻撃するところが共通ですし、デザインがアーティスティックで正体がなかなかつかめないところも一緒です。
少年少女が駒として使われていくのも、都市が水浸しになる終末のイメージも一緒です。
主人が最終回まで、世界の存亡に対して何ら有効な意志決定をしないところまで一緒です。
実際、エヴァに続く16年ぶりのアニメの傑作がまどマギということになっています。

しかし、この二つには決定的に異なる点があります。それは、エヴァが「言語=システムとしての世界」の外側の感情を扱ったのに対し、まどマギはシステムの内側の問題を扱ったことです。
これは引用したセリフを見てもわかります。エヴァのセリフが叙情であるのに対し、まどマギは論理なんですよ。

碇シンジは夢のなかで自分の内面と向き合えば良かったのですが、鹿目まどかは現実に同級生が次々と戦死し、魔女となって同士討ちのように殺されるなかで物事を考えねばならなかった。

夢のなかで考えている場合ではないこと、そして守られる側から守る側に立場を移さねばならないこと。そういう決断があるのです。
そして最終的に鹿目まどかが向き合ったのは、魔女そのものではなく、魔女を作り出すシステムでした。
まどかは、人間の願いが呪いに変わることのない世界を望んで魔法少女へと変身します。

Perfumeに話を戻すと、STARTRAIN では次のような歌詞があります。
線路のない道をゆく
想像を超えて進みたい
歯車のように噛み合う
力は一人じゃ伝わらない
「歯車」は非常にネガティブなイメージで捉えられることの多い単語です。意味するのはシステムへの隷属でしょう。
まどマギでも最強の魔女は歯車がモチーフになっています。
しかし、これを敢えて使った。そこには、いままでの世界観を棄てるという大きな決断があるように思います。
手探りで夢を見る
何もない ただ信じて
宇宙(そら)までが遠いほど
片道切符を求めて

旧劇場版エヴァにこんなセリフがあります。
シンジ「判らない。現実がよく判らないんだ」
レイ「他人の現実と自分の真実との溝が、正確に把握できないのね」
シンジ「幸せが何処にあるのか、判らないんだ」
レイ「夢の中にしか、幸せを見いだせないのね」
シンジ「だからこれは現実じゃない。誰もいない世界だ」
レイ「そう、夢」
シンジ「だから、ここには僕はいない」
レイ「都合のいい、作り事で現実の復讐をしていたのね」
シンジ「いけないのか?」
レイ「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね」
シンジ「僕一人の夢を見ちゃいけないのか?」
レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」
シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
レイ「それは、現実のつづき」
シンジ「僕の現実はどこ?」
レイ「それは、夢の終わりよ」

セカイ系の始まりとされるエヴァから、その終わりとされるまどマギまで16年の歳月があったことは先ほど書きました。
奇しくもエヴァは1995年の阪神淡路大震災の起きた年に放映され、まどマギは2011年、これまた東日本大震災の起きた年の放映でした。
いずれも単なるエンターテイメントとは人々は捉えませんでした。生きるための術を藁をも掴む思いで、この作品に見つけようとしていました。

私は思うのですが、STAR TRAIN は彼女らの一つの時代、敢えて言えばセカイ系の終わりなのでしょう。
手探りで夢を見る、歯車のように噛み合う。それは、少年少女とも彼岸の世界とも違う、現実の人間の姿に他なりません。
だから、私たちのPerfumeは終わったとも言えるし、始まったとも言えます。正直にいえば、私が慣れ親しんできたPerfumeとは異質な存在です。

ただ一つだけ言えるのは、生身の人間の努力がいままでもこれからも彼女らを支えていくということです。初めから魔法なんてなかったのです。それだけが希望を繋いできたのです。
そしてこれからも、彼女らは努力を続けるでしょう。
I don’t want anything
いつだって今が 
Wow 常にスタートライン
Music is everything
遥かなユニバース
Wow 走れ STAR TRAIN

彼岸からの歌

みなさんお久しぶりです。
ネタもないので、またもやお返事記事です。
Andoreiさんの「廃墟好きの話」「温泉エッセイスト」より。

Perfumeのイメージとして、来世や彼岸といったパラレルワールドは抜きにして語れないところがあります。
エレクトロワールドが世界の喪失なら、ポリリズムはその再生ですが、「キミの想いは無駄にならない 世界は廻る」と言ってるあたり、現世で僕とキミが出逢うことはないんでしょう。
seventh heaven は思いっきり彼岸を前提にしてますし。GLITTERが巫女の曲ならSpring of Life は生の裏側の死をモチーフにしている。

新譜のSTAR TRAIN に"KOKIMEKI LIGHTS" というのが入っているのですが、出だしはこんな感じです。

You ready for this? キミの キミの
ときめきライツ 光の 鍵を
You ready for this? 漕いで 空を
進め ボートのように

物凄い距離感、現実感の無さなんですよ。で、これがまた例の「僕キミ」曲になっているという。

Andorei さんの廃墟好きの話題なんですが、廃墟になぜ人は惹かれていくのかといえば、生きている自分にとって彼岸を見ている感覚だからだろうなと。在ったはずの未来があって、そこを手の届かないところから眺めている。そういう来世からの俯瞰のような感覚なのだろうと。
そして、おそらく世代の違う人間同士が感じる感覚というのも、同じだろうと思います。存在したかもしれない自分をそこに見るんですね。

そうそう。STAR TRAINでは「僕ら」という単語が出て来るんですよ。
「僕とキミ」と「僕ら」は全然意味合いが違っていて、僕らは舞台が現世なんですね。DreamFighterが代表例です。STAR TRAINで歌っているのも、そういう世界です。
これに「イミテーションワールド」=「模造品のセカイ」がカップリングですから、今回の新譜は結構楽しめるのではないかと。
好みの問題ですが、自分は前のRelax in the City よりも楽しめました。ネタも豊富ですしね。

ではまた。

STAR TRAIN(初回限定盤)(DVD付)

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なぜ透明人間は自由のせいと叫ぶのか

1.「自由のせい」と「透明な世界」


新作シングル"Relax In The City"では「透明人間」を評価する声が多い。
順当なところだと思う。何度も書いてきたことだけれど、Perfumeのファンになるかどうかは思春期の心情にどこまで共感できるかで決まる。
歌詞で言えば「僕とキミ」であり、一般社会とは隔絶されたパラレルワールドの共有者となれるかである。

一呼吸をして
ゆっくりと立ち上がるたびに
存在を確かめる
きっと僕はここにいるから

その意味で「透明人間」は保守本流的なPerfumeであって、古くからのファンが期待している世界観そのものを提供した歌といえる。


ところが、この歌詞にはどうにも腑に落ちないところがある。
一つは「自由のせい」。

透明人間 透明人間
誰も気付いてくれなくて
自由のせい 自由のせい
同じ照明を 浴びたいのに

もう一つは「透明な世界」

too many gain too many gain
走り抜ける 風だけを
残してく 残してく
透明な世界に too many pains


なぜ誰も気づいてくれないことが自由のせいなのか、透明な世界とは何を指しているのか(透明人間なら「透明な自分」ではないのか?)、そしてなぜ僕は存在を確かめねばならないのか。
これだけでは意味がわからない。

つまり、この歌詞では「存在」「自由」「世界」という単語が謎として使われていて、それらについて「僕」がどう関わるかということが主題としてある。そして、これが同時にキャッチとしての役割を果たしている。
自分なりにもう少し細かく言うと、こういうことだ。


(1)なぜ、僕は存在を確かめねばならないのか。
人が「存在する」には、ただ生きているだけ(一呼吸をして ゆっくりと立ち上がる)では足りないのか。
逆に言えば、生きていなくても存在が認められる「何か」があるということだ。僕の存在は否定されるが、その「何か」は肯定される。何がそれを決めているんだろう。
そして、もしも僕には、「生きること」と「存在する」こととが両立できないとするなら、一体どうしたらいいのだろう。

(2)なぜ、僕は自由のせいで透明人間になってしまったのか。
僕は世界の中で存在を確かめたい、存在を認められたい。そういう意思を持っている。
自由とは、僕の意思に従うことだ。なのに僕は意思に反して透明人間になった。
もしも、透明人間になった理由が自由にあるというのなら、僕に意思があるのが悪いんだ。
だから、僕は意思を捨てよう。心を空っぽな入れ物に、身体を機械に入れ替えて、他人の望むままに生きれば存在は認められるだろう。
でも、そのとき、僕は僕なんだろうか。

(3)なぜ、世界は透明になっていくのか。
僕を否定し、無視を続ける世界。僕は世界の中で生きていきたいのに、どうしてそこまで拒絶をするのか。
そうだ、僕は僕に語りかけよう。現実に背を向け、自分で自分の物語を作って、僕は僕一人の世界の住人になろう。
僕が僕を受け容れるのなら、耐えようのない痛みもこれで終わりになるはずだ。(too many gain,too many pain)
でも、僕の存在はそれで肯定されるのだろうか。
そして、僕は本当に現実を、透明な世界として無視し続けられるのか。


もちろん、存在・自由・世界というテーマはそれ自体が永遠の謎であって、哲学書が何冊あっても足りないし、この推測が正しいという保証も全くない。自分なんぞが解説していること自体、無理筋もいいところである。
でも、こうにでも解釈しなければ筋が通っていかない。透明人間はそういう謎だらけの歌詞なのである。


2.終わる世界


だが、一つだけ自分が確かなこととして言えるのは、この歌詞は「存在の消失」を裏のテーマにしているということである。
現実世界に背を向け、自己の内的世界に語りかけ、世界も自己をも透明なものに還元して消失させる。
ファンは手を叩いて喜んだけれども、そんな「物語」(僕以外に登場人物がいないのだから、正確には物語でもない)を歌う曲が人を感動させられるのだろうか。ファンは一体何に感動したというのか。

自分は正直なところ感動はしなかった。「世の中から疎外された寂しい気持ちを歌っているんだね」と軽く考えられたら結果は違ったかもしれない。
でも、聴きこむほどにこの歌詞は毒だらけ。世界の終わりを願う心がそこにはあるからだ。感動とか、そんな甘っちょろい個人的趣味を語るシロモノでは決してない。

これはLEVEL3のDreamLandと対比すると違いがよくわかると思う。そこでは内的世界と対峙はしても、希望は託されていた。

come again come again
まだ戻れるよ
キミの腕をボクが引くから

DreamLandでは、ボクにもキミにも生きている人間としての具体性がない。
さらに言えば、Perfumeの歌詞で「僕とキミ」が使われるときは抽象化された自己と他者を表現していて、その他者も自己の分身として存在している。いわば「僕の心の中のキミ」なのである。

ボクトキミハニテイルネ
ウソの自分演じてる
合わせないで 今はただ
本当のキミが知りたいの
(VOICE)

それが今回はキミさえいなくなり、すべて僕のモノローグで「透明な世界」まで押し切ろうとしている。

人間は誰もが自己の心の中に他者がいる。たとえば、学校や会社に遅刻したら誰かに怒られるとか、クリスマスは家族にプレゼントをあげたら喜ばれるんじゃないかとか。
それは自分の想像が作り上げた他者であり、その意味では虚偽意識なのかもしれない。でも、その脳内の他者を信じることで、自己の意識と行為を決めているのが人間の偽らざる姿なのである。そうでなければ、誰が未来など信じるものか。

ほんの少しの 僕の気持ちが
キミに伝わる そう信じている
ポリリズム


この歌詞にも「キミ」について具体的な情報は何一つない。だが、僕はキミがいると信じることで生きてゆける。
ここで「生きてゆける」というのは自己の存在を肯定できるという意味であり、Perfumeでは「僕」の存在を肯定できる根拠が、心の中にいる「キミ」なのである。
だから「僕」=「キミ」であって、世界というのは「キミとの関係」なくしては成り立たない。それがなくなれば、「僕」も同時に消失していくからだ。

この危うい、抽象的で空虚な、だが全存在を懸けた「僕とキミ」との関係が、Perfumeの歌詞世界の本質であると自分は思う。

そして、だからこそ、「透明人間」について我々は考えねばならない。
僕の心の中からキミがいなくなったとして、僕は僕でいられるのかと。

Relax In The City / Pick Me Up (完全生産限定盤)(DVD付)

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もしもPerfumeに正義があるとして

 

1.生来的敗北者

ROCKは正義だ。誰が言い出した言葉なのかは知らない。其処には確かな正解があって、その反対側は間違いとでも云うのだろうか?真意がわからぬ。
だが世の中にはあえて間違いを犯す人がいる。何も生まないことをわかっていながらワザワザ幸福から遠ざかる人がいる。
そんな人を何かが救うのだろうか。
 
最近、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(通称、俺妹)というアニメをYOUTUBEで観ている。
クソ生意気な中学2年の妹が18禁エロゲー(しかも妹系)にどハマりして、その秘密を偶然高校生の兄が知ってしまう。妹はこの趣味をどうしてもやめられない。この妹、平凡な兄とは正反対で、成績優秀、容姿端麗、おまけにファッション誌の読者モデルまでしているが、自分の内心を打ち明けられる相手がいない。兄は妹の無理難題だらけの人生相談に延々と付き合わされるというラブコメ
 
こういう設定だと大抵エロ全開となるのだが、殺意を覚えるほどツンデレの「ツン」が強い妹なので程よく中和。但し「アキバ系アキバ系によるアキバ系のためのアニメ」いう趣なので展開は推して知るべし。
しかし、物語後半は圧巻。妹が兄に対して恋愛感情を抱いていて、それが行動の核心ということが次第に明らかにされていくのだが、それゆえ性的には決して満たされることがないという生来的な欠陥を抱えている。そして、兄を慕う女性も何人かいるのだが、これを兄はすべて切り捨てる。
 
「20歳になっても30歳になってもお兄さんが好きなんて言い続けるの?気持ち悪いよね。そうやって結婚も出来ずに周りの人間を不幸にしていくの?」勝気な妹に容赦ない非難が降り注ぐ。
兄は答える。「お前の言ってることは正しくて、俺たちは間違いだ。だが止めねえ。近親相姦で上等だ。」
 
この物語のミソは、兄が妹に恋愛感情を持っているかは、最後までわからないところ。だから視聴者もこのセリフが妹をかばうためなのか、それとも本心で言っているのか混乱する。
だが、作品のテーマはまさにこの混乱にある。

我々が素晴らしいと崇め奉っている「恋愛」の正体って何なのよと。 
 

2.性愛>恋愛

この問題の解決は割と簡単で、妹が兄への想いを諦めればすべて丸く収まる。兄は他の女性と健全な恋ができるし、妹だって外見上は完璧だから引く手数多だろう。
しかし愛は至上というドグマがあるから、そう簡単には引っ込みがつかない。好きになったものは止められない。
 
こういう物語を見ると、私たちが恋愛と呼んでいるものが、実は性愛と同義ということがわかる。言い換えれば代替可能性ということだ。オスとメスがいればいいわけで、組み合わせは後からどうにでも交換できる。
ところが兄妹はそうはいかない。
妹は罵詈雑言をぶつけながら兄を扱き使うが、手を握るわけでもなく、キスをするわけでもなく、もちろんセックスもない。そういうのはエロゲーで解消済みで、ただ兄がわがままな自分をどう思ってくれているかだけを気に掛けている。
周囲はこのプラトニックラブが気に入らない。性愛が成り立たない男女関係を認めることができない。
 
この物語の最終回は兄妹がキスをして二人だけの結婚式をする。(まあ、ベタなラストだけど)
だが、これにはファンから非難轟々。兄が妹に恋愛感情があるかどうかも分からんのに、そういう展開は筋としてあり得ない。だいたい、この先どうするんだ。どこへ行っても後ろ指をさされる人生だ。こんなものテレビで見せるなと。
自分は既存秩序へのアンチテーゼとして最高にカッコいいと思うのだが、そんな意見はどうやらマイノリティらしい。
 
ここで問題提起をしたい。愛によって救われない人は、何によって救われるのか?
果たしてこの妹は救われたのか。兄はどうするつもりなのか。普通に考えたら、この兄妹の愛は不幸しか生まないのである。
 
これを次回Perfumeに関連させて考えてみたい(僕とキミ研究序説 2〜ポリリズム再考に続く)

 

ohi-sama.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕とキミ研究序説 2〜ポリリズム再考

 

ohi-sama.hatenablog.com

こちらの記事の続きです。

 

3.僕キミ作品群とは 

 (1)ここで話を一旦 Perfume に切り替える。

以前、andorei氏との間で「僕キミ作品群」なる研究をしたことがある。Perfumeの歌詞で「僕」「キミ」の両方が出てくるものは、例外なく代表作品になるという法則である。

「僕とキミ」研究序説 - ohi-sama’s blog

「僕とキミ」研究序説 あんどれいサイド - Perfumeが好きでした あんどれい総研

代表作かどうかは個々の主観が含まれるが、女性アーティストとしては「僕・キミ」の言い回しが極端に多いことは皆さんに同意していただけると思う。これがPerfumeの歌詞世界の基礎となる。 

 

コンピューターシティ、エレクトロワールド、Twinkle Snow Powdery SnowポリリズムDream Fighter、VOICE、GLITTER、未来のミュージアム、Dream Land

参考までこれが現在までの僕キミ作品。

 

以前書いたブログの文章をそのまま乗っけると、
・「僕とキミ」の場合は「僕=キミ」であり、ここでの「キミ」は実体を持たない観念上の存在に近い。

 

ohi-sama.hatenablog.com

 


・このカチッと作り込まれたひたすら内向きな世界。僕とキミ以外に世界の住人がいないんですから。

ほんの少しの僕の気持ちがキミに伝わる そう信じてる
・そこには性差という壁もなくて、固い殻に守られた中での「物語」が進む。正確に言うと物語にならない「想い」で完結している。

 

ohi-sama.hatenablog.com

 

 
・「僕とキミ」と「私」との最大の違いは、社会への従属性の有無です。「私」の対義語が「公」であることは小学生でも知っています。しかし、「僕」に対義語はありません。あえて言えば「君」でしょうが、「僕とキミ」というとき君主と臣下という意味は完全に取り去られています。

 

ohi-sama.hatenablog.com

 

 
こんな風に自分は「僕キミ作品群」の特徴を説明していた。

(2)これに対してandorei氏から頂いたコメントは、
 
「僕とキミで表される詞の世界は、フィクション性が強く、一般現実と外れた世界であるという伝統があり、その辺を意識したうえで、中田ヤスタカは、
僕とキミの世界をSF的に、ヴァーチャルリアリティ的に解釈したのではなかろうか、
基本的に、彼の詞の男の子と女の子って、パラレルワールドに住んでいて、互いに触れ合うことはできないのだけれども、
時たま訪れる奇跡の瞬間にだけ七夕のように意思疎通することができる、
そんなイメージを延々と追及しているような気がします。mikiko先生が 卵の殻を破るイメージを追求して、最後には第二回東京ドームの演出に至ったように、
中田ヤスタカって、パラレルワールドに住む男の子と女の子の物語をずっと詞にしている、私はそんな風に思うようになりました。」
 
こういったものだった。 
 

4.パラレルワールドと愛

andorei氏の考えを土台に、もう少し論を進める。
パラレルワールドの住人に愛はあるのだろうか。
 
たとえば、世界に「僕」と「キミ」しか人間がいないとする。
僕の気持ちがキミに伝わることはないし、キミの想いも僕にはわからない。住む世界が違うのだから。
でも中田ヤスタカは明言する。
 
とても大事な キミの想いは 無駄にならない 世界は廻る 
 
 「無駄にならない」と言っているのだから、キミの想いは決して伝わらない。そして「世界」が自分ではどうにもならない距離感を表現している。
 
でも、それがキミにとって「とても大事」だということは僕にだってわかるんだよ。 
 
 
以前、自分はこんな文章を書いたことがある。
Perfumeにおいて大切なのは理解ではなく共感である。記憶の奥底に沈んだ痛みである。音楽性云々も勿論重要ではあるが、思春期の魂に殉ずる者こそが永遠にファンであり続けるのではないかと推察する。 
 

 

ohi-sama.hatenablog.com

 

 

Perfumeは愛を歌わない。愛という単語が、歌詞でほとんど意味を持たないことは以前論じた。基本的に彼女らの歌詞は、自己の想いのなかで完結する。Perfumeは愛を歌うか - ohi-sama’s blog
そして、その世界に涙してきたのがファンとPerfumeとの関係性だった。まさにパラレルワールドを生きる「僕とキミ」の関係だったのである。 
 

5.廻る世界

誰もが生きるうえで「人間関係」が大事だという。しかし、それは気持ちを通じ合えることが前提であって、対外的な表面上の処世術にすぎない。そして我々が「愛」と呼ぶものは、そのレベルでの出来事であることがほとんどなのである。
だが、人間の想いは、表層のみでは捉えることのできないものであり、誰もが牢獄の奥底に魔物を飼っている。その正体を知ることはできないし、知ろうともしたがらない。自分にも他人にも理解不能だからである。
 
だから、想いというものは決して「伝わらない」。これが伝わると言っている人達は、どこかがおかしいと自分は思う。
しかし、理解はできなくても想いは「存在する」。
これを見て見ぬ振りはできないと感じた者は、その瞬間に別の世界に足を踏み入れることになる。 
 
前の記事で、「俺妹」の最終回にファンが怒り出したことを書いた。どうして恋愛感情もないのにそんな無責任なことをやるのかと。
おそらく、兄妹で結婚ごっこをしたところで、幸せは長くは続かない。だが、この兄は覚悟を決めたのである。
「自分は妹を理解することはできない。だが共感して一緒に生きることはできる。」
そして損得の問題ではないと感じたとき、人は初めて変わる。 
 
 
もう一度ポリリズムの歌詞を書く。
 
とても大事な キミの想いは 無駄にならない 世界は廻る
 
想いは伝わることはない。しかし、我々は「世界は廻る」ことを信じて生を全うすることができる。
それがPerfumeがファンに残したものだと自分は思う。   

 

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