ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

徳間とユニバーサルで何が違ったか

乱暴に言ってしまえば、徳間時代と現在のユニバーサルの作るPVとの違いは、Perfumeをアイドルとして撮るか、アーティストとして撮るかということだと思う。
 
徳間のPerfumeは惑うことなきアイドルであった。
ここでいうアイドルとは、演技やら演奏やら、余計なものを付け足さなくても、それだけでキャラが立つという意味である。
この説明で解りづらければ、高倉健をイメージしてみればいい。何もセリフを喋らなくても、そこにいるだけで全てが成り立つ。※1
近未来にせよ、チョコレートディスコにせよ、NBBがらみにせよ、設定は変われどもPerfumeそのものを素材として使う。役者としての芸を求めるものではない。それが徳間時代のPVだった。
 
マカロニを見よ。旧式の8mmで撮った画像は粗く、画面はブレ、色もくすんでいる。台本などあってないようなものだろう。でも、ファンは誰もが感動する。Perfumeがそこにいてくれる。それだけで涙する。
 
さて、ユニバーサル。SOL→SAMT→未来ミュー→MoL→SRと続き、最新作cling clingまで一貫しているのは、Perfumeを役者として使い、その短編劇を売りにしてPVを成り立たせるという手法である。
あるときはアンドロイド、またあるときはサイキック少女。この路線の延長に今回の中華風踊り子がある。
つまり、素材としてのPerfumeに価値があるという発想を取らない。
それはPVにおけるアイドルからの決別であり、演技の能力や、設定の作り込みなど、世間でいう芸術性で勝負ということだから、その意味ではアーティスト路線ということになろう。
 
でも、これが果たして成功と言えるのだろうか。徳間時代のような感動は失われているように、自分では思う。
ちなみに、MoLでは関さんが従来のアイドル路線に戻そうとしたようにも思われるが、不完全燃焼だったように見える。
 
世間では、アーティストは自ら創作活動をする人であり、アイドルは誰かの創作に沿って芸能活動をする人であるという。そして自ら創作をする人は、他人に任せる人より偉いという。
だが、ことPVにおいては、この定義は逆転している。アイドルとしてのPerfumeの方が、はるかに新鮮で独創性があるように思える。役作りをしない分、自由度がある。
 
Perfumeはアイドルなのかアーティストなのか。
これはサラッと流せるような質問でありながら、実は答える人の表現活動への価値観を映し出すような問いである。
 
上手い答えはまだないが、視点としては「自意識」をどこまで出すかが評価軸になるのではないか。
1970年代まではアイドルもアーティストもなく、ただ「歌手」という区分けしかなかった。歌うことを職業にするというだけ。
その後、「シンガーソングライター」が生まれ、自分で歌を「作る」スタイルが生まれる。
 
ここで重要なのは、本来ならば、聞き手としては良い歌かどうかだけが問題で、誰が作ったかは重要でないはずである。
ところが、シンガーソングライターの場合、自ら作ったこと自体に価値があるとされる。作家性や世界観が素晴らしいという。本当だろうか。
そこに、自意識への過大評価があるように思う。
 
不勉強な知識ではあるが、これは文学の世界でいうなら、私小説のようなものではないか。
自意識なんてものは、痛さと紙一重で、本来はいい大人が表に出すようなものではない。そこをうまくオブラートに包んで、「芸術」と称してハク付けして商品化した。※2
「アーティスト」という言葉が意味するものも、これと同じような存在ではないのだろうか。誰か、歌手とアーティストとの違いが説明できますか?
 
上京したPerfume中田ヤスタカは、徹底して感情を排除した歌い方を要求した。自意識との関係だけでいえば、アーティスト路線と距離を置く方針である。
結果的にはこれが正しく、現在の地位を築くことになる。
エンターテイナーとしてあ〜ちゃん中心にグループは活動し、ダンスと話芸に精力を注ぐことで差別化ができた。自意識を切り離したことで、他人を感動させることに集中できたのであろう。
それゆえアーティスト=芸術>アイドルという構図はどうかなと自分では思う。
 
以上、長々と駄文を書き連ねてしまったが、自分なりに考えても、Perfumeがアイドルかアーティストかという論争は、まず評価軸を定めないといけないという問題があり、次に表現活動の核に自意識を据えると、芸術全般に関するデカイ問題にもなってくる。
これは意外に根が深い問題なのである。
だからこそ、Perfumeはどちらにも付かない独自の立ち位置にいることが重要だったし、J-POPへのカウンターアタックが成功したのもそこにあろう。
知識のネタも尽きてきたので、今日はここまで。※3
 
※1 もちろん、それも健さんの演技のうちだが、何か目立つことをしなければキャラが立たない芸能人との比較で、このように書いた。
 
※2「芸術」は幕末以降に邦訳された外来語である。ちなみに「愛」もこの類の訳語であって、大和言葉ではない。(初めは仏教用語、その後キリスト教アガペーの訳語)
J-POPの問題は、借り物の思想を日本語で歌うことに、一端があるような気がしている。日本の政治、社会、思想などすべてに言えることでもあるけれど。
平たくいえば、19世紀の幕末の問題意識が、形を変えて21世紀になってもまだ続いているのである。
 
※3 文章はアップ後も新しい知識が得られたらどんどん校正していきます。昨日と違うこと言ってるとしてもご勘弁を。