ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

備忘録 西脇綾香という女性

 

ぐるんぐるん 2014.9.13 宮城セキスイハイムスーパーアリーナ
 
ステージサイド席で鑑賞。

全くの偶然だが、舞台中央まで30m、袖まで10mと非常に見やすく、スピーカーも近い良い席が取れた。

 
前回は東京ドームの二階で豆粒程度にしか見えなかったPerfumeだが、今回は表情までつぶさに読み取れる。
画面の中の存在から、生身のPerfumeへ。これだけでも認識が全然違う。
 
まず、感じたのが、PVやテレビの映像は、編集を加えられている以上、Perfumeを理解する上での原典とはなり得ないこと。
正直、どっちが美しいかといえば、ライブよりも加工と編集が加えられた映像なのだが、人間がそこに存在するという強さには敵わない。その現場に立ち会った人間だけが理解しうる事柄が世の中にはある。
だから、あ〜ちゃんは「Perfumeはライブで完成する」と言ってるが、完成するという言葉は本当はおかしい。
ライブはPerfumeの始まりであって、素材の元である。それを変容したり解釈したりして、PVやテレビ映像のような映像作品がある。

そして、映像というのが曲者で、これだけでは細かな表情は読み取れない。というか、読み取らせないように、はじめから設定をチューニングしてしまう。
例えば、肌を美白にしようとすれば、意図的に白を飛ばすようにツマミをいじくる。細かな顔の筋肉の凹凸も消えて、メイクで強調された部分だけが浮き出る。アイドル顏の一丁上がりだ。
でも、実際に見た彼女たちは、照明の要素もあるけど、当たり前な健康的な肌の色だったし、その意味でごく普通に街を歩いている人と変わりはしない。
だから、舞台のPerfumeとモニター画面のそれとでは、情報量が10倍くらい違って、さらに映像の加工が入るから別物に変容させられるのだ。
 
今回、自分は画面の中の虚構ではない、人間としてのPerfumeにはじめて出会った。
 
のっちは、どこをとっても非の打ち所がない美人であり、市井の人間が到底真似できるものではなかった。顔が美しいとかいうレベルではなく、全身の所作のすべてから独特のオーラを発している。
タイプは違うが、かしゆかも同様である。お人形とよく言われるが、実際に生きている人間としてそれが存在していれば、刮目する他はない。
 
問題はあ〜ちゃんだ。
舞台は近くに見えるのに、なぜか存在感がない。二度MCがあって、はじめはのっち、次はかしゆかが話を進める。あ〜ちゃんは遅れて首にアイシングのタオルを巻いて出てくる。
調子が悪いんだろうか?
 
そうではなかった。彼女は彼女にしかできない役割を果たすため、アイドルとは別の人格へと変貌を遂げようとしていたのだと思う。
最後のMCで今度のWT3について彼女は語った。
ネタバレになるので詳細は控えるが、彼女なりの海外進出への考えを述べた。
自分が思うに、彼女は相当にドメスティックな考えの持ち主であり、事務所やレコード会社とは齟齬が生じているような印象を受けた。

※補足 この2日前の9月11日に、オフィシャルページで全米デビューが発表されている※
 
では、今後Perfumeはどこへ向かうのか。もちろん、ライブでは明かされなかったが、自分が一つだけ確信が持てたことがある。
 
彼女は策士へと変わる。
 
いままで、あ〜ちゃんは綺麗になった、可愛くなったと言われて来た。自分も"spending all my time"のジャケット写真はお気に入りで、儚げな美しさがとても素敵だと思ってきた。
しかし、今日の彼女の表情は全然違う。自分が知る単語では「逞しい」という表現が最も合っていた。そのくらい、他の二人とは違っていた。
これはモニター越しではわからないが、肉眼なら誰もが感じる感覚で、演技や虚構では隠しきれないその人の人格である。

終演後、東京から来たというファンの方と少し話をした。
彼は言った。「自分は彼女の業について行くだけですよ」
 
確かにそういう部分もあるのだが、西脇綾香という女性は、もはや単なる運命論者ではない。何かに身を委ねるような考えはさらさら無い。
それが、生身のPerfumeを見て自分が感じたことだ。そして、これからもファンである限り考え続ける事なのだろう。