ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

続・極々私的な記事 〜 思想としてのPerfume

先日の休みにandoreiさんの過去記事をようやく最初から読みました。

 

Perfume ホイ・ホイ ( あんどれい総研 )

 

どうして、「海外に行け、海外に!」と口を酸っぱくして言っていたのか、意味が分かりかけてきました。

「始めに言葉ありき」という一神教文明への挑戦なんですね。そして、これをどうにかしないと、次の世紀には人類は滅びているよと。

「どうして本当は分かっているはずなのに、言質を取るまでわからないふりをするんですか?」という問いかけは非常に鋭く、考えさせられました。

    本質的に他者への疑念を基にしているから、近代社会であればある程、権力・支配・戦争に近付いていく。

    いま、イスラム国なんてのが問題になってますが、一神教同士の争いですから終わりがない。どこまでも自分の解釈とドグマに固執する。それに参戦しようなんて輩が日本にまでいる。終わってますよ、ホント。

 

 問題意識としてはすごくわかりますし、私もPerfumeがただの音楽ならここまでハマったりしませんでした。本来、娯楽であるはずのものが、なぜ切実な問題として迫ってくるのか。同時代的な感覚がそうさせているとしか思えないです。

 ただですね、悲しいことに思想として威力を持つのは、不幸自慢でファンに殺されたジョン・レノンの方なんですよ。ほんと、情けないし歯がゆいことですけど、幸福であるということは、この分野では力を持たない。

 

 少し話は変わりますが、WT2DVDでもPTAのコーナーやってましたが、やっぱり違和感ありました。

    ロンドンで外人に手を振らせるわけですが、三分の一くらいは参加してない。いったい、何やらせるんだという感じで。

 これ、若い女の子のお願いにオジサンはホイホイ従っちゃう、極めてアジア的なお約束がないと成り立たないんじゃないですかね。あるいは、年齢退行サイコーという日本的=エヴァンゲリオン的な成長の仕方をしてきているか。

 

 あーちゃんが海外進出に関して「大和魂みせてくるけん!」と以前に言ってたらしいですが、これではちょっと危なっかしい。日本のままのPerfumeを見せたいということなんでしょうが、ノンバーバルなコミュニケーションという意味では、アジア文化の文脈がわからないと楽しめないPTAは本末転倒なわけです。

 

 こういうの見てると「自分が~、自意識が~」とは言わないけれど、どこか不自由な感じがPerfumeにはあります。

    むしろ、語学も含めて、海外のコメディアンの研究をやったらどうなんでしょ?そういう方向で才能伸ばしていけば、伸び代も増えるし、特にあーちゃん自身が精神的に楽になれる気がします。

 

 Andoreiさんも指摘されてましたが、日本文化そのものからも解放されることができるか、そこが成長の分かれ目になるのではと。

 

日本人にとっての外国は、欧米であり、
欧米との比較で、日本人の個性とは何か?と考え続けてきたわけですから、
欧米にないものは、なんでも日本の個性と思いがちだったのではないでしょうか。

着物は、かつての中国人の衣服であり、
法隆寺は、かつての中国の建築様式のコピーであり、
仏教は、インドの思想、
そういうごちゃまぜの文化の中でずっと歴史がはぐくまれてきたことに対して、鈍感になっていたというのがあると思います。


そういう、外からやってきた文化をひとつづつはがしていくと、
本当の純粋な日本文化が何か残るのか?と言いますと、
おそらく、何も残らないはずなんですよね。
五万年もさかのぼれば、日本の位置に日本人なんて住んでいなかったはずなんですから。

そこまで考えると、日本人がアメリカのロックを演奏することって猿真似ではないのか?という疑問からやっと解放されるような気がします。

 

http://d.hatena.ne.jp/andorei/20140916

 

 

    日本が~、海外が~、と中二病的にATフィールドのぶつけ合いしていても不毛ですし、ファンはPerfumeそのものを見に来てるのですから。

 

    ちょっと、更新に間が空きましたので、とりあえずこんなところで。