ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

おわりとはじまりと


このブログを書き始めた(というか、コメント欄に収まりきれないから、こっちに移動した)のは、あれほど好きだったPerfumeが終焉を迎えつつ有るのではないか、という危機感からでした。

もちろん、現実の彼女たちは一生懸命やってますし、これを見てしまうと他の「芸能人」やら「アーティスト」と称する方々が学芸会レベルでしかなかった、Perfumeは総合芸術としての最終兵器である、我々は革命の目撃者である、というキモいアレなヤバい意見を変えるつもりは毛頭ありません。

ただ、magic of love あたりから始まった「一種の陳腐化」の原因は何なのだろうと、やはり考えざるを得ないのです。

magic of love は自分がリリース時に入手した初めてのシングルで、シングルCDなるものを買ったのは椎名林檎のギブス以来でした。そこまでして音楽を手元に置きたいという欲求が生まれなかったということですね。

Perfumeはこの曲 について「ド・Perfume」と言ってました。自分達らしい直球の曲なんだと。確かに、フツーのラブソングとしてフツーに良く出来てますし、逆再生ダンスなんて難しいこともやってますし、捨て曲なしの看板どおりではあります。

でも、自分が求めるのは予定調和ではないんですよ。いまあるジャンルのなかで最高品質のモノづくりという職人的完成度だけでは足りないんです。これはファンのあまりに我が儘な要求なんでしょうか。

その後は、Sweet Refrain → Cling Cling と新規のファンを獲得するにはフックが足りない展開になりました。確かに、どれも「ド・Perfume」なのですが、楽曲に切なさと裏腹の棘が消えてしまったように思います。

どれもこれも歌っているのは「ラブソング」です。ですが、拙稿の「Perfumeは愛を歌うか」でも触れましたが、彼女たちは本来ならば、安易に「愛」を口にするような人たちじゃないんですよ。

愛は消費の対象である。引き換えに手渡すのは自分の命である。永遠は現世には存在し得ない。
そして、自らの肉体を機械にまで純化して、はじめて表現できるものがある。
天使のほほえみの陰で、危険な爆弾を抱え、spending all my timeをカンヌで演じたテロリストがPerfumeでした。

今日は夕方からPUFFYのライブに行ってきます。
自分は彼女らのすごいファンではないし、アルバムも数枚しか買ってませんが、ふと思うところがありました。

一つは海外進出の先駆者であること。
もう一つは、これだけ知名度がありながら、今回は300人程度のライブハウスでツアーをしているということ。
そして二人とも40歳を迎えるということです。

全盛期の彼女らの人気を知っている人からすれば考えられないことなのですが、ラッキーなのかアンラッキーなのか、自分は300人しか入らないハコで整理番号150番というチケットを入手。ファンクラブにも入ってないのに。あのPUFFYのライブですよ?!どうしてよ??

翻って、Perfumeファンのなかには、彼女らの活動期間はあと3年だの5年だのと早くも終末論が出始めています。
自分はそういう意見を商業的な一面では正しいと思いつつ、ファンとしてはとても悲しいと思っています。

ここまで芸の道を突き詰めて、女としての価値がなければサヨナラですか?
人生80年の時代におかしくないですか?
そこまで人間を切り売り出来るんですか?
あなたはPerfumeのどこが好きでファンをやってるんですか?
そんなにPerfumeって薄っぺらな芸能人だったんですか?
すごく違和感を感じます。

20年近く、結婚も出産も離婚もして、それでも活動を続けてくれるPUFFY。自分は何よりも音楽を続けてくれていることが嬉しいし、たとえどんな小さなハコだとしても、ファンに音楽を届けようとしてくれていることはもっと嬉しい。
過去の栄光なんて軽々と越えて、飄々と生きてるなんて最高にカッコいい。

なにか自分にも出来ること、新しい発見が見つかるかもしれない。そんな希望を胸にとにかく現場に出撃してきます。

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように


自分はしぶといコトだけが取り柄なんでね。詳細は後ほど。ではでは。





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