ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

PUFFYに会ってきた

2014年11月1日(土) 18:00 仙台darwin

PUFFY TOUR 2014”SWAG SWAG SWAG”

 

仙台市中心部のライブハウス。収容人数300名。

公演の1週間前に買ったチケットなのに整理番号150番というあたりが全てを物語ってますが、それは置いといて、まずはジントニックを一気飲み(笑)

舞台の幅は10メートルもなくフロアも奥まで15メートル。中程に陣取る。近い。とにかく近い!仮にこの距離でPerfumeを観たら間違いなく卒倒します。

Perfumeは地下アイドル時代に300人のハコが埋められず悩みに悩んだという逸話があります。今でこそ東京ドームを埋めるトップアイドルですが、それでもCDを100万枚売ったことは御座いません。

ですが、PUFFYはデビューシングルから4回連続でミリオンセラーを叩き出しました。海外公演だって凄まじい。フツーに北米単独ツアー全12公演なんてかましてますから。(詳しくはウィキペディアみてね)

本来ならば、Perfumeなんぞ鼻で笑われるような、驚異のスーパースターなんですよ。

それが今わずか10メートルの距離に本人たちが現れる。この上ない贅沢なのか、それとも時代の流れと言うべきか。小論文のテーマが映画のエンドロールのように脳内を駆け巡るが、これは早くもアルコールが回ってるせいです。ぐるんぐるん。

妙なテンションが上がってきたところでPUFFY登場。

 

第一印象「フツーの40歳だった」

これ、別にPUFFYを揶揄してるんじゃないんです。当たり前に、素直に、誠実に生きてきたから、そのまま歳をとる。時間の流れに逆行するとか、やたらと老けたとか、そういうものが全くない。

むかしはアイドル(この言い方ちょっと変か?)の二人に対してこんな事書くのは失礼かも知れないけど、どこも非の打ち所がない40歳のおばさん(また失礼!お姉さんに訂正)でした。その年月の経験をしっかり積んで、自然体で生きているから嘘がないという意味です。

 

これを見るとPerfumeのオーラって何なのだろうと。確かに、それはそれで素晴らしいもので、神託を受けたかのような衝撃を受けるのですが。でも、どこか見えないATフィールド張ってます。

むかしはパフィーもそうだったかも知れませんが、昨日観たライブにそういうものは皆無でした。だから、とにかく距離感が近い。ホント、その辺のお姉さんなんです。

 

MCだって、相変わらずのgdgd(笑)。

昔、「パパパパ PUFFY」という冠番組があって奥田民生大泉洋を呼んでぶっつけ本番の無茶振りするんですが、そのまんま。今回のバンドはギター、ベース、ドラムスと最小限の構成で、ギタリストがまだ20代なんですが、「若いあんたは鍛え甲斐がある!」とおばちゃんぶりを発揮して無理な要求を連発。いいですわ、この怖いものなしの無敵さ。

亜美ちゃんがお土産屋で笹かまぼこを買おうとしたら財布がない!由美ちゃんが代わりに払うんですが、そのお金をまだ返してもらっていない。

「このドロボー!」

「YES! I’m ドロボー!!」

こんなネタで15分もダラダラグダグダと。客はゲラゲラ笑って、相の手も入れて。距離が近いから客との会話が成り立つんですよ。この空気感、いいなぁ。

亜美ちゃんと由美ちゃんで、美人なのは亜美ちゃん。でも客が注目するのは由美ちゃん。表情と動きが豊かなんですよ。これに落ち着いて絶妙な突っ込み入れるのが亜美ちゃん。今年で活動18年と言ってましたが、その年月がMCひとつ取っても生きています。

そんなこんなで楽しんでると、なぜか二人の姿が20代の頃に戻ってくる。むかしテレビで見た記憶が基になって感覚が修正されているのかとも思うのですが、目の前に実物があるんですからそんなはずはない。ちゃんと見ると40歳ですが、やっぱり感覚として20代。

これは若作りとか、芸能人だからとか、演技とか、そういうものとは違って、基本的に20代から変わってないってことなんじゃないかと。間近で見てわかるのは、人間の芯の部分が真っ直ぐということなんですよ。

音楽が楽しい。二人で舞台に出られることが楽しい。客と会話できることが楽しい。その基本の思いの部分に偽りがないのです。

 

生きているから歳はとる

昨日、自分は「Perfume終末論者」に対して、「どこに目を付けてファンやってるんだ?この人でなし!」的なことを書きました。

まあ、自分が参考にしている有名主要ブロガーさんのほとんどは、大なり小なり「あと持って〇年でしょう」と癌の告知みたいなこと書いてますから、これで自分はファンの端くれの、そのまた端っこの異端の側に追いやられたわけです。(涙)

ただね、その終末論の根拠って何なのですか?アイドルとしての人気ですか?流行ですか?女の色気ですか?結婚のことですか?花は散り際が美しいなんていう情緒の問題ですか?それって、芸の道に関係があるんですか?

Perfumeを持ち上げるだけ持ち上げて、結婚したらおしまいって、そりゃないでしょう。具体性も展望もないし、わけわからんのですよ。

 

自分が昨日嬉しかったのは、PUFFYがなにも変わらなかったことです。奇をてらわずに、臆する事もなく、だまってただ二人のままでいてくれる。ずっとむかしのままでいてくれる。

アルバムも出てないし、300人のライブハウスってことで、状況は大概わかりますよ。でも、それがどうしたわけ?相変わらずの脱力系。どこ吹く風のPUFFYに清々しさを感じ、本当に善い人たちなんだと心がホッとする。それを見て、歳をとることは恥ずかしいことじゃない!と確信できる。

だから、スーパースターなんだと。時間も時代も超えているんだと。

 

spending all my time

自分は昨日この曲の解釈としてこんなことを書きました。

愛は消費の対象である。引き換えに手渡すのは自分の命である。永遠は現世には存在し得ない。
そして、自らの肉体を機械にまで純化して、はじめて表現できるものがある。

でも、少し考えが変わってきました。

 

歳をとる。歳をとる。いつかあの世へ行くだろう。でも自分は変わらない。

時代だとか、老いだとか、そんなことで思いは変わらない。

雀百まで踊り忘れず。冥土の土産に持っていくさ。

 

手前勝手なこじつけではありますけど、自分はPUFFYのふたりを見てそう感じてしまったのですね。

ファンも含めて周りの人間は三人娘にいろいろ言うとは思いますよ。でも、人間の本質って変わらないじゃないですか。

市場原理だのマーケティングだの難しいお金の問題はもちろんあります。

でも、PUFFYは300人のライブハウスで立派にやった。誠実にやった。これだけ結果を出している人たちでさえ浮き沈みはある。それを支えるのがファンの仕事。

終末論とか言ってる暇があるなら、そういう当たり前のことをやるべきじゃないですかね?まあ、いつもながら纏まらない文章ではありますが。

 

最後にもう一度。

亜美ちゃん、由美ちゃんありがとう。

君たちは真のスーパースターだ。本当にありがとう!