ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

少年少女であるということ


[pv]東京事変 閃光少女 - YouTube


透明人間 東京事変 - YouTube

 

 いわゆるパフュームの終末論の根底にあるのは「老いを見たくない」。この恐怖が論理の衣をまとって表れたものではないかと自分は推測する。

 過去にあこがれた女性が年増になり、なんとも似つかわしくない音楽、衣裳で舞台に上がる。演者と表現との間に埋めようのない乖離がある。
 老いは死の匂いである。死にゆく人間が少年少女のふりをして必死に客の歓心を得ようとする。
 
 見たくない。醜態を見たくない。愛する者が落ちぶれ果て、それでも生き続けねばならぬ姿を見たくない。
 キミを愛し続けた僕の気持ちを冥土の土産に、どうか美しい姿のままで死んでくれないか。
 
 どんな理屈で取り繕ってみても、そこには忘れたはずの思春期の魂があり、それが満たされないファンは、延命策について語るか、離れるか、解散を願うか、苦悩が始まることになる。
 
 大人の事情を十分に知悉した大の大人がそれでも少年少女に戻るというなら、やはりパフュームの芸は本物だったのだと思う。同時に彼女たち自身がこれからも少年少女であるためにはどうすれば良いのか、一考の余地はある。
 
 今日は椎名林檎の動画を二本、パフュームからはエレクトロワールドを二本用意した。
 まず「閃光少女」であるが、NHKの放送がされたのが2010年頃、この時彼女は31歳頃。
 
 椎名林檎に動きらしい動きは何もない。しっかりカメラを見据えた後、「明日には全く覚えてなくたっていいの」で視線を下に向ける。
 「昨日の予想が感度を奪うわ」で再び顔を上げ、「先回りしないで」で首を傾け斜めに視線を送る。その間26秒。
 これだけで少女へと変わる。
 これを踏まえると「透明人間」でも同じテクニックが使われていることに気づく。繰り返すが、たったこれだけである。
 
 このあと、LEVEL3を見ていただきたい。三人いて誰一人として少年になりきれていないことを。なぜそこで、その表情をせねばならないのか、組み立てが何一つ出来ていないことを。
 パフュームが少年少女に戻れないのは歳をとったせいではない。まぎれもなく研究不足。その一言に尽きる。
 
 だから、ここがゴールだなんてお願いだから思わないでくれ。終末と思ってしまえば、本当に終わりが来る。
 そんなことを久々にペンで書いた。字数と肉体という絶対の制約のある中で、表現がどう変わるか実験を試みた。
 
 それでは皆さん、また宜しく。
 

Perfume エレクトロ・ワールド -Electro World - LIVE (2006.12.21) - YouTube

 

 

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補足 そういえばエレクトロワールドこそ終末論の世界だ。いま思い出した。