ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

「Perfume愛」ってなんだろうね?

ご説明 

この記事は Cling Clingの評価を巡って、私がよくお邪魔しているブロガーさんが「Perfumeはもう解散していい」という発言をし、界隈で議論が沸騰。
一方で、WT3での海外ファンのファンカメラを阻止しようと、国内ファンの一部が圧力団体的活動を始める。という世紀末的混乱の中で、今年自分はファン活動をしてました。
 
誰もが「Perfumeは愛」だと陳腐な発言はするんだけど、その中身については何も検討されてなかったというお寒い状況で、ここは俺が人柱になるかと始めたのがこの文章です。 
基本、坂口安吾堕落論を叩き台にしていきますが、素人がやることなので纏まらないところは御免なさい。 Perfumeを考えるというのは、本当はこういうことなんだよというのが、ほんの少しだけでも伝われば幸いです。

 

一,
 時間は戻らぬとある論者が云う。
 パフュームが女 性として最も輝ける時は既に喪われた。移籍から三度目の海外公演まで、我々は三年待った。一日たりとも応援を忘れる日はなかった。しかし遂に荒野に芽は出なかった。

 そもそもCling Clingは何を訴求したいのか皆目見当が付かぬ。何処が好いのか、旧来の楽曲よりも優れているのか、試しにファンに訊いてみよ。皆返答に窮する。
 彼女らも適齢期である。新人の活躍には目覚ましいものがある。これは潮時が来たということではないか。

 吾は彼女らが音楽史に永遠にその名を刻むことを望む。さしたる芸もなく地位に恋々とし馬鹿騒ぎに明け暮れるテレビ芸能人や自称アーティストの醜態を見よ。
 名こそ惜しけれ。パフュームは果たして解散すべきや否や。

 

二,
 私はこの世の全てを合理性で説明し尽くすことは到底不可能であると考えている人間である。
 たとえ彼女らの芸や容姿が吾人を感動させることが出来なくなる日が来るとしても、そんなものは解散事由にはあたらない。商売上の数字がどうであれ、それさえも理由とはならない。
 全ては思いつきと我が儘が事を左右するのが世の常である。それとて、己が諦めず癇癪を起こしさえしなければ、何時かは幸運が訪れる。だから今は耐えろ、七十八十になっても芸は続けろ。そう言い続けてきた。

 

 冷静に考えよ。損益分岐点を割らないのに解散させても会社に利はない。いざとなれば移籍や独立も選択肢である。Perfumeは誰にも真似できぬ芸を身につけ財産も名声も得た。三十歳なら思慮分別、気力体力全てが揃う。三人で力を合わせれば如何様にも将来は開ける。

 だいたい解散というのは倒産間際の大店が行う最後のバーゲンセールである。禄に商品を仕入れもせず、大盤振る舞い目当ての卑しい客から小銭をせびり取るのが目的である。どこに大義があり名誉があるというのか。

 なぜ若いうちに解散をせねばならないのか。ここまで磨き上げた芸である。続けるのが当然ではないか。アイドルは20代で辞めるものと思っている発想自体が腐ってる。自分は40歳になったPUFFYのライブに行って実感した。*1

 しかし、ほぼ全てのファンが、彼女らはいずれ解散すると考え、美しい最期を願っているのもまた厳然たる事実である。

 その根拠を探るのが本稿の主題である。

 

三,
 努力を支えるのは愛である。好きこそ物の上手なれ。Perfumeの芸に対する愛と、ファンのPerfumeに対する愛とが今を支えている。支え続ける者がいる限り奇蹟は起こる。
 だが、愛は執着を生む。我々は愛が素晴らしいから人を愛するのではない。愛から逃れられぬ故に愛するである。
 拙筆でたびたび紹介させて頂いた小幡績氏も、Perfume最大の功績は愛を生み出したことだと最大の賛辞を送りながら、返す刀でシャープ、パナソニックソニーは愛に溺れて自滅したと分析した。*2

 

 私はWT3でのファンカメラ問題について外国ファンの行動に寛容であるよう論じた際、アップロードを阻止しようと活動する熱狂的なファンから抗議を受けた。

 「Perfumeとの約束も守れぬような言って解らぬ輩には、痛みを与えねばなりません。」

「この行動はアミューズさんに報告済みです。アミューズさんからフォローも受けています。アミューズさんには私たちの願いを度々聞いて頂いてます。」

「動きもしないで理屈ばかり言っている貴方は必ず恥をかきますよ、私たちの仲間は決してPerfumeの批判など致しません。」


 何をか言わんや。しかし間違いなく、この怒り、憎しみ、差別、不寛容、権力への阿りの原動力は、彼女たちへの惜しみない愛に端を発しているのである。

 

 なぜPerfumeはそれほどに愛されるのであろうか。

 だが、この問いは重要な事を見逃している。愛しているのは他でもない、私たち自身である。

   自己の内面を鑑みることなければ決して真理には辿り着かない。つぎは愛の暴走の形である終末論を取り上げる。

 

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こちらに続きます。