ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

龍安寺的東照宮的

とらやぎさんコメントより
自分の中に、単純化への欲求があって
たとえていえば、竜安寺の石庭みたいなことなのですが、
それと同じものをPerfumeの中にみていて、
逆方向の極地として、日光東照宮がある。
みざるいわざるきかざるのあれです。
くりんくりんのPVは、東照宮のようなもので、それはそれでありなんですが
違和感があった。
Perfume的ではないなと。

芸のある人というのは3タイプありまして。
①引き出しが沢山ある人
②引き出しは少ないが、沢山物が入っている人
③自分の引き出しはないが、他人の引き出しを開けるのが上手な人

Perfumeは③タイプだったんですね。反論はいろいろあると思うのですが「わかる人にはわかる」というのは、結局自分自身の見えない姿が、Perfumeを鏡にすると見える。こういうことを言ってるわけです。

人間は意味を求めることをやめられない。他者なんだから放っておく。それで良いはずなのに出来ない。
そこによく言えば解釈、悪く言えば誤解が生まれる余地があります。

作品というのは関係性の中ではじめて生まれるものでしょう。キャンバスに乗った絵の具だとか、スピーカーから出る音波だとか、それは巷にあふれるガラクタでしかない。受け手が存在してはじめて作品も存在する。
大げさに言えば、受け手の誤解によってはじめて作品は完成する。つまり相手があって感動が生まれなければ、作品はいつまでも作品になれないのです。

そこからClingClingのPVを敢えて「誤解して」みれば、あれはPerfumeの中の異物なんですね。

まず問題点は「可愛くない」
誰も指摘しないのが不思議なんですが、舞台設定以前に3人から可愛さを抜き取った演出をしている。
可愛ければ難しいこと関係なしに見るんですよ。共感できますからね。
で、後出しジャンケンみたいに、解釈論がネットで始まる。アイドル相手に擬似恋愛してるなんて恥ずかしくて言えないから、理論武装始めるわけですね。

ところが、ClingClingはそれがなかったでしょ?すると、今までの文脈が使えないことに気づかないといけない。が、ファンも恋愛終了に耐えられないから、抵抗を始めるわけですよ。

まあ、本当の問題は次回作ですよね。ClingClingが一回性の事故で終わるのか、それとも更に事故を続けるのか。
じぶんは焦らずゆっくりとファンをやっていきます。いろんな意味でここまで来たら肝を据えるしかないので。
ではでは。