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ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

なぜ透明人間は自由のせいと叫ぶのか

1.「自由のせい」と「透明な世界」


新作シングル"Relax In The City"では「透明人間」を評価する声が多い。
順当なところだと思う。何度も書いてきたことだけれど、Perfumeのファンになるかどうかは思春期の心情にどこまで共感できるかで決まる。
歌詞で言えば「僕とキミ」であり、一般社会とは隔絶されたパラレルワールドの共有者となれるかである。

一呼吸をして
ゆっくりと立ち上がるたびに
存在を確かめる
きっと僕はここにいるから

その意味で「透明人間」は保守本流的なPerfumeであって、古くからのファンが期待している世界観そのものを提供した歌といえる。


ところが、この歌詞にはどうにも腑に落ちないところがある。
一つは「自由のせい」。

透明人間 透明人間
誰も気付いてくれなくて
自由のせい 自由のせい
同じ照明を 浴びたいのに

もう一つは「透明な世界」

too many gain too many gain
走り抜ける 風だけを
残してく 残してく
透明な世界に too many pains


なぜ誰も気づいてくれないことが自由のせいなのか、透明な世界とは何を指しているのか(透明人間なら「透明な自分」ではないのか?)、そしてなぜ僕は存在を確かめねばならないのか。
これだけでは意味がわからない。

つまり、この歌詞では「存在」「自由」「世界」という単語が謎として使われていて、それらについて「僕」がどう関わるかということが主題としてある。そして、これが同時にキャッチとしての役割を果たしている。
自分なりにもう少し細かく言うと、こういうことだ。


(1)なぜ、僕は存在を確かめねばならないのか。
人が「存在する」には、ただ生きているだけ(一呼吸をして ゆっくりと立ち上がる)では足りないのか。
逆に言えば、生きていなくても存在が認められる「何か」があるということだ。僕の存在は否定されるが、その「何か」は肯定される。何がそれを決めているんだろう。
そして、もしも僕には、「生きること」と「存在する」こととが両立できないとするなら、一体どうしたらいいのだろう。

(2)なぜ、僕は自由のせいで透明人間になってしまったのか。
僕は世界の中で存在を確かめたい、存在を認められたい。そういう意思を持っている。
自由とは、僕の意思に従うことだ。なのに僕は意思に反して透明人間になった。
もしも、透明人間になった理由が自由にあるというのなら、僕に意思があるのが悪いんだ。
だから、僕は意思を捨てよう。心を空っぽな入れ物に、身体を機械に入れ替えて、他人の望むままに生きれば存在は認められるだろう。
でも、そのとき、僕は僕なんだろうか。

(3)なぜ、世界は透明になっていくのか。
僕を否定し、無視を続ける世界。僕は世界の中で生きていきたいのに、どうしてそこまで拒絶をするのか。
そうだ、僕は僕に語りかけよう。現実に背を向け、自分で自分の物語を作って、僕は僕一人の世界の住人になろう。
僕が僕を受け容れるのなら、耐えようのない痛みもこれで終わりになるはずだ。(too many gain,too many pain)
でも、僕の存在はそれで肯定されるのだろうか。
そして、僕は本当に現実を、透明な世界として無視し続けられるのか。


もちろん、存在・自由・世界というテーマはそれ自体が永遠の謎であって、哲学書が何冊あっても足りないし、この推測が正しいという保証も全くない。自分なんぞが解説していること自体、無理筋もいいところである。
でも、こうにでも解釈しなければ筋が通っていかない。透明人間はそういう謎だらけの歌詞なのである。


2.終わる世界


だが、一つだけ自分が確かなこととして言えるのは、この歌詞は「存在の消失」を裏のテーマにしているということである。
現実世界に背を向け、自己の内的世界に語りかけ、世界も自己をも透明なものに還元して消失させる。
ファンは手を叩いて喜んだけれども、そんな「物語」(僕以外に登場人物がいないのだから、正確には物語でもない)を歌う曲が人を感動させられるのだろうか。ファンは一体何に感動したというのか。

自分は正直なところ感動はしなかった。「世の中から疎外された寂しい気持ちを歌っているんだね」と軽く考えられたら結果は違ったかもしれない。
でも、聴きこむほどにこの歌詞は毒だらけ。世界の終わりを願う心がそこにはあるからだ。感動とか、そんな甘っちょろい個人的趣味を語るシロモノでは決してない。

これはLEVEL3のDreamLandと対比すると違いがよくわかると思う。そこでは内的世界と対峙はしても、希望は託されていた。

come again come again
まだ戻れるよ
キミの腕をボクが引くから

DreamLandでは、ボクにもキミにも生きている人間としての具体性がない。
さらに言えば、Perfumeの歌詞で「僕とキミ」が使われるときは抽象化された自己と他者を表現していて、その他者も自己の分身として存在している。いわば「僕の心の中のキミ」なのである。

ボクトキミハニテイルネ
ウソの自分演じてる
合わせないで 今はただ
本当のキミが知りたいの
(VOICE)

それが今回はキミさえいなくなり、すべて僕のモノローグで「透明な世界」まで押し切ろうとしている。

人間は誰もが自己の心の中に他者がいる。たとえば、学校や会社に遅刻したら誰かに怒られるとか、クリスマスは家族にプレゼントをあげたら喜ばれるんじゃないかとか。
それは自分の想像が作り上げた他者であり、その意味では虚偽意識なのかもしれない。でも、その脳内の他者を信じることで、自己の意識と行為を決めているのが人間の偽らざる姿なのである。そうでなければ、誰が未来など信じるものか。

ほんの少しの 僕の気持ちが
キミに伝わる そう信じている
ポリリズム


この歌詞にも「キミ」について具体的な情報は何一つない。だが、僕はキミがいると信じることで生きてゆける。
ここで「生きてゆける」というのは自己の存在を肯定できるという意味であり、Perfumeでは「僕」の存在を肯定できる根拠が、心の中にいる「キミ」なのである。
だから「僕」=「キミ」であって、世界というのは「キミとの関係」なくしては成り立たない。それがなくなれば、「僕」も同時に消失していくからだ。

この危うい、抽象的で空虚な、だが全存在を懸けた「僕とキミ」との関係が、Perfumeの歌詞世界の本質であると自分は思う。

そして、だからこそ、「透明人間」について我々は考えねばならない。
僕の心の中からキミがいなくなったとして、僕は僕でいられるのかと。

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