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ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

Perfumeとセカイ(下)

Perfumeとセカイ(中) - ohi-sama’s blog

5.Perfume=まどか☆マギカ

「彼女たちを裏切ったのは僕たちではなく、寧ろ自分自身の祈りだよ。どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理だ。」
「そんな当たり前の結末を裏切りだと言うなら、そもそも、願い事なんてすること自体が間違いなのさ。」(魔法少女まどか☆マギカ 第11話より)
LEVEL 3 以降、現在まで2年間のあいだにPerfumeのフルアルバムは出ていないのですが、やはり世界観の舵取りが非常に難しかったのだと思います。
内面性の始まりとして「僕キミ作品群」のような少年少女の世界をはじめに展開し、それが成功したと見るや、edgeのような彼岸の世界に軸足を移して、現実世界との壁を表現する。 これがPerfumeの辿った道のりであって、その二つの方向性の集大成がDreamLandだったのではないかと思います。
ところが、このまま延々と内面の問いかけで進むのかと言われると、表現の幅を作らないと年齢的な齟齬が生じてマズいわけです。

例えば、LEVEL 3 のあとのシングル Sweet Refrain はこんな感じでした。
何年も忘れてたことが 何かの拍子に 急に思い出す
あの日見た夢が今でも 燻っているのかしら
間違いじゃないよ 同じことを
結局はしてる 形変えて
一見してわかるのは、作詞に非常に苦労しているということです。どうにかしてPerfumeを現実世界に戻して普通の女性としての表現をさせたい。中田ヤスタカの想いはわかるのですが、以前のような切れを生み出すには残念ながら至っていません。

このあとは賛否両論のClingClingが続きます。
おっきいハコのなか 背の高い生物がたくさん
かきわける 全身を使って キミをつかむ
見上げて何かを言う いつかは横に並ぶでしょ
生意気なハーモニーまでもうすぐ
これは先に論じたエヴァンゲリオンと一緒で、内面が出来る以前の精神世界を表現したかったことはわかると思います。「背の高い生物」は、エヴァでいえば「使徒」にあたり、他者の寓話的な表現です。「見上げて何かを言う」のも、子供が「言語=システムとしての世界」の外側の人間だという説明を思い出していただければ理解できるかと思います。
ところが、その意図がちゃんと伝わるかというと、伝わらないんですよ。どうして、いまここで童謡なのかと。というか、いくら何でも難しすぎですよねぇ。歌にそこまでのことを求めるのは。

このあとは先に挙げた透明人間が収録されたRelax in the City が発売されるのですが、場合によっては、ここで活動停止もありえたのではないかと思います。
というのは、「3・5・6・9」ツアーではあーちゃんから「Perfumeを続けることにしました」という発表があったらしいんですね。それだけ追いつめられていたということなんですよ。
透明人間 透明人間 誰も気付いてくれなくて
自由のせい 自由のせい 同じ照明を浴びたいのに
too many gain too many gain 
走り抜ける 風だけを
残してく 残してく 透明な世界に
too many pains  
Perfumeを追いつめたものが何かと言えば、原因はいろいろあるでしょうが、自らの造り上げた世界観も一つではないかと思います。
「少年少女の世界」と「彼岸の世界」を徹底的に純化させ、さらに振付と映像と特殊効果を使い、言語と平行した表現を加えて作品にする。
これがPerfumeなのですが、副作用も当然あります。彼岸の世界は一種の宗教表現ですから、神懸かり的にならざるを得ない。少年少女の世界も同世代の共感があって成り立つのでしょうから、それを30前の女性がやり続けるには無理があるのです。
また、世界観というのはドグマやイデオロギーと同じで、一種の思考パターンでしかありません。はじめは新鮮でも、いずれ陳腐化していくのです。

冒頭に「魔法少女まどか☆マギカ」のセリフを挙げました。
見ていない方に粗筋を説明すると、世界には人間の内面を蝕む「魔女」がいて、それを倒すには少女がキュウベエというマスコットと契約をして「魔法少女」にならねばならない。
魔女と戦うかわりに、キュウベエは少女の願い事を、どんなに条理に反するものであっても、何でも一つ叶えるという条件で契約がなされるというお話です。

ところが、魔女がなぜ生まれるのか、その秘密は契約では明らかにされません。
物語が進むにつれ、実は自己の願い事の叶わぬ結末に裏切られ、呪いを溜め込んだ魔法少女の成れの果てであることが明らかになります。
しかし、一度魔法少女になってしまえば普通の女性に戻ることは出来ません。魔女になるか戦死するかどちらかしかないのです。

条理に反する願い事というのであれば、アイドルになって成功するなんていうのは一般常識から言えばその範疇の事柄です。大げさに言えば、それ自体が彼岸の世界のようなものです。
Perfumeにそれが叶えられたのは、何度も言うように世界観によるところが大きいのですが、いつまでもそんな魔法が使えないとなれば、腹を括る時が必ず来ます。


6.STARTRAIN = 世界の歯車になるためには

まどか「どうしてそうまでして戦うの?」 
キュゥべえ「彼女がまだ、希望を求めているからさ。いざとなれば、この時間軸もまた無為にして、ほむらは戦い続けるだろう。何度でも性懲りもなく、この無意味な連鎖を繰り返すんだろうね」 
「最早今の彼女にとって、立ち止まることと、諦めることは同義だ。何もかもが無駄だった、と――決してまどかの運命を変えられないと確信したその瞬間に、暁美ほむらは絶望に負けて、グリーフシードへと変わるだろう」 
「彼女自身も分かってるんだ。だから選択肢なんてない。勝ち目のあるなしにかかわらず、ほむらは戦うしかないんだよ」 
まどか「希望を持つ限り、救われないって言うの?」 
キュゥべえ「そうさ」 

少々Perfumeから離れて、エヴァまどか☆マギカ(通称まどマギ)の話をさせていただくと、このアニメは非常に共通点が多いです。
主人公の碇シンジ鹿目まどかはどちらも自分に自信がなく、他人と目をそらしながら生きています。これと一見正反対のような性格の、綾波レイ暁美ほむらが登場することで物語が動くのも似ています。

敵である使徒も魔女も人間の内面を攻撃するところが共通ですし、デザインがアーティスティックで正体がなかなかつかめないところも一緒です。
少年少女が駒として使われていくのも、都市が水浸しになる終末のイメージも一緒です。
主人が最終回まで、世界の存亡に対して何ら有効な意志決定をしないところまで一緒です。
実際、エヴァに続く16年ぶりのアニメの傑作がまどマギということになっています。

しかし、この二つには決定的に異なる点があります。それは、エヴァが「言語=システムとしての世界」の外側の感情を扱ったのに対し、まどマギはシステムの内側の問題を扱ったことです。
これは引用したセリフを見てもわかります。エヴァのセリフが叙情であるのに対し、まどマギは論理なんですよ。

碇シンジは夢のなかで自分の内面と向き合えば良かったのですが、鹿目まどかは現実に同級生が次々と戦死し、魔女となって同士討ちのように殺されるなかで物事を考えねばならなかった。

夢のなかで考えている場合ではないこと、そして守られる側から守る側に立場を移さねばならないこと。そういう決断があるのです。
そして最終的に鹿目まどかが向き合ったのは、魔女そのものではなく、魔女を作り出すシステムでした。
まどかは、人間の願いが呪いに変わることのない世界を望んで魔法少女へと変身します。

Perfumeに話を戻すと、STARTRAIN では次のような歌詞があります。
線路のない道をゆく
想像を超えて進みたい
歯車のように噛み合う
力は一人じゃ伝わらない
「歯車」は非常にネガティブなイメージで捉えられることの多い単語です。意味するのはシステムへの隷属でしょう。
まどマギでも最強の魔女は歯車がモチーフになっています。
しかし、これを敢えて使った。そこには、いままでの世界観を棄てるという大きな決断があるように思います。
手探りで夢を見る
何もない ただ信じて
宇宙(そら)までが遠いほど
片道切符を求めて

旧劇場版エヴァにこんなセリフがあります。
シンジ「判らない。現実がよく判らないんだ」
レイ「他人の現実と自分の真実との溝が、正確に把握できないのね」
シンジ「幸せが何処にあるのか、判らないんだ」
レイ「夢の中にしか、幸せを見いだせないのね」
シンジ「だからこれは現実じゃない。誰もいない世界だ」
レイ「そう、夢」
シンジ「だから、ここには僕はいない」
レイ「都合のいい、作り事で現実の復讐をしていたのね」
シンジ「いけないのか?」
レイ「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね」
シンジ「僕一人の夢を見ちゃいけないのか?」
レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」
シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
レイ「それは、現実のつづき」
シンジ「僕の現実はどこ?」
レイ「それは、夢の終わりよ」

セカイ系の始まりとされるエヴァから、その終わりとされるまどマギまで16年の歳月があったことは先ほど書きました。
奇しくもエヴァは1995年の阪神淡路大震災の起きた年に放映され、まどマギは2011年、これまた東日本大震災の起きた年の放映でした。
いずれも単なるエンターテイメントとは人々は捉えませんでした。生きるための術を藁をも掴む思いで、この作品に見つけようとしていました。

私は思うのですが、STAR TRAIN は彼女らの一つの時代、敢えて言えばセカイ系の終わりなのでしょう。
手探りで夢を見る、歯車のように噛み合う。それは、少年少女とも彼岸の世界とも違う、現実の人間の姿に他なりません。
だから、私たちのPerfumeは終わったとも言えるし、始まったとも言えます。正直にいえば、私が慣れ親しんできたPerfumeとは異質な存在です。

ただ一つだけ言えるのは、生身の人間の努力がいままでもこれからも彼女らを支えていくということです。初めから魔法なんてなかったのです。それだけが希望を繋いできたのです。
そしてこれからも、彼女らは努力を続けるでしょう。
I don’t want anything
いつだって今が 
Wow 常にスタートライン
Music is everything
遥かなユニバース
Wow 走れ STAR TRAIN