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ohi-sama’s blog

晴れときどきPerfume

Perfumeとセカイ(上)

1.Perfumeエヴァンゲリオン

ここ一年、andorei氏と"Perfume=パラレルワールド説"について議論してきました。
Perfumeの歌詞に出てくる「僕とキミ」は平行世界の住人で、どうにもならない距離感とコミュニケーションの不可能性の中で、それでも赤い糸を信じ合う関係というのがPerfumeの表現の本質ではなかろうか、という結論まで何とか持っていきました。

問題は、「じゃあ、その平行世界とやらを作っている『セカイ』とは何なのよ?」と。「僕とキミ」は、どうして、そんなまどろっこしいところから出てこれないのと。
そこは、「Perfumeは無理にSF的な世界観を作り込んでいて、おかしいんじゃないの?」という疑問が出てくる場所でもあるんですね。

一つの回答としては、自己の内面を「世界」ととらえて、それ故に人の数だけ世界があるのだという説明は出来ると思います。andorei氏も新世紀エヴァンゲリオンを引き合いに説明されていて、50回繰り返し視聴した元エヴァオタクとしては、それなりに同意できるところではあります。

ですが、この説明が素直に理解に結びつくかというと難しい。なぜ平行世界は重なり合うのかということに、Perfumeの歌詞からは説明がなかなかつかないんですよ。もちろん、振り付けを見ても分からないだろうと思います。
だから、そこは世界観が共通してると思われる他の作品から補完していく必要があります。

例えば、テレビ版エヴァ前半の山場で「決戦 第三新東京市」という回があります。
エヴァンゲリオンというのは、トラウマをもった人間の、世界への向き合い方の物語ですが、結局最後は「世界の運命なんぞ知ったことではございません」になって、自己の内面の救済という殻のなかのモノローグになっていくというお話です。
他者が舞台から完全に消え去るのですから、物語でさえなく、独白劇としか言いようがないのですが、この回は、碇シンジ=綾波レイという二人の少年少女の心情を軸に物語が進む。
綾波はどうしてこれ(エヴァ)に乗るの?」
「絆だから。」
「父さんとの?」
「みんなとの。」
「強いんだな、綾波は。」
「私には他に何もないもの。時間よ、行きましょう。それじゃ、さよなら。」

「自分に価値がない」という二人は、内面の殻の中から出てこない平行世界の住人なのですが、それでも何かを相手に伝えようとする。
その伝えようとする「何か」が、碇シンジ綾波レイも何なのかは自覚出来ていないし、おそらく言語化できない感情としか言いようがない。
例えば、孤独だとか、恐怖だとか、理不尽だとか、嫉妬だとか、そういう言葉で表現することは一応は可能です。
しかし、なぜ殻から出てこようとしない人間が他人に何かを伝えたがるのか、その原動力についての説明が、言葉ではつかないのです。

しかし、それ故にエヴァは唯一無二の作品なのだろうと思います。
何かに突き動かされるように、内面が突然変異のように爆発して変容していく。これが受け入れられる人はファンになるし、心が爆発するなんて現象を信じようとしない人はこのアニメを見続けようとはしない。
その意味でも、平行世界の作品です。

そして、個人の内面が如何にして作られ、「重なり合う/重なり合わない」のは何故なのかという過剰なまでの問い掛けは、「エヴァの呪い=セカイ系の始まり」としてそれから十数年間にわたり日本のアニメ表現を縛り続けたといわれています。


2.エレクトロワールドから透明人間へ

話をPerfumeに戻すと、以前「透明人間」の歌詞について批評をしたことがあります。
これは完全な一人称の歌であって、自己の存在すら消失していく「僕」が、「透明な世界」に「自由のせい」と叫ぶ。
そこでは「僕」はなぜ叫ぶのかさえわからないのでしょう。舞台設定があって、登場人物がいて、どういう事件が起きてといった物語構造が全く成り立たないのです。
一呼吸をして
ゆっくりと立ち上がるたびに
存在を確かめる
きっと僕はここにいるから

これは、ちょうど赤子が言語を持たないことと同じです。ただ「存在を確かめる」ために叫ぶのです。
それは、コミュニケーションよりも優先することで、ついさっきまで、自己と母胎との境もなく、外界すら観念できなかった人間が発する本能的な表現なのでしょう。

エヴァでいえば、碇シンジ綾波レイも、やっていることはそれです。
一見すると、彼らは少年少女にありがちな自分探し=「世界の中での位置づけ探し」をしているかのように思うのですが、実はそういうお話ではないんですね。

世界が虚偽であり、それを認識する自分も虚偽であり、そのように考える意識も虚偽である。虚偽という言葉がピンと来なければ、「他人事」と言い換えても良いでしょう。
世界とは「自分の世界」であり、「自分の心を形作るもの」でなければ何の意味もないのですが、自己を虚偽の存在と位置づけたことで、自分の生死すら他人事としか思えなくなってしまっている。
「これで死ぬかもしれないね。」
「どうしてそんなこというの?あなたは死なないわ。私が守るもの。」

碇シンジが出撃の前につぶやく言葉ですが、彼が本当に気にしているのは、自分の生死ではないのです。
なぜ綾波レイだけが自分の父に愛されるのか。この世界の理がまるで不条理で、死を目の前にしていたとしても、なぜ彼女は常に毅然とした態度でいられるのか。
綾波レイ碇シンジにとって、世界との断絶と接点の象徴です。

だから、これがわからなければ彼は死ぬに死ねないのです。たとえ生物的な死があったとしても、それは世界にとって何の影響もなく、永久に人としての死を迎えられないのです。
つまり客観的な事実や評価はどうでも良くなっているのです。本当に知りたいのは、自分が世界に存在する理由なのです。たとえそれが架空の物語に過ぎなくてもです。
この道を走り進み進み進み続けた
地図に書いてあるはずの街が見当たらない
振り返るとそこに見えていた景色が消えた
この世界 僕が最後で最後 最後だ
本当のことに気付いてしまったの
この世界のしくみ キミに手紙残すよ

たとえ、この世界が偽りだとしても、キミはもういないとわかっていても、それでも僕は手紙を書かねばならない。
何もかもが自分との関わりがつかめない。自分を自分自身と思えない。コミュニケーションが意味を持つ前提が何もかも崩れているのです。
だから、発する言葉は叫びとなる。意味や伝達などを求めてはいないのです。

エヴァでは、碇シンジ綾波レイも非常に透明感のあるキャラクターとして描かれていますが、それは子供が「言語=システムとしての世界」の外側の人間であることの隠喩でもあります。

Perfumeとセカイ(中)に続きます。